2005年10月01日(土)
豪快な伯父の死 [戯れ言]
伯父が死んだ。
詩人で、絵描きで、元学校教師。酒飲みで豪快な伯父だった。
7年前から肺の病に冒されていたことを、母がもらってきたであろう詩集の後書きで初めて知った。服飾デザイナーでJALの制服に採用されたり、何年か前の雪祭りで行われたファッションショーでも受賞したことのある従兄も、今は身障者となっているらしく。葬儀に出席出来ないと母が嘆いていた。葬儀は従弟が1人で取り仕切っているらしい。引っ込み思案でおとなしかった従弟が、米国留学を経て多くを身に付けてきた従弟が。
もう10年以上も前になるが、マンガを描いたり、小説書く真似事をしていたオレに、酒とタバコ、そして文学は続けろよ、と云ってくれた伯父“浅野明信”。
オレのは文学というよりは娯楽なのだし、元々酒は飲まなかったが、タバコの忠告だけは聞き入れて、一生止めまいと心に決めている。
敬愛すべき伯父の死。
母が泣きながらひと言漏らした。また兄弟が1人逝った、と。
Posted by 源九郎 at 20時00分
コメント
はじめまして。
浅野先生亡くなられていたんですね。
しかも05年に!
今まで知りませんでした。
私は、先生の教師生活晩年の教え子です。
個性的な人だったから色々覚えてます。
サイン付きの詩集ももらったし、授業で使った先生の絵画を児童たちが我先にと奪い合ったこともありました。
退任挨拶の時に、最後に「バイバイ」と言って手を振っていたのが印象に残ってます。
あんな硬い場でバイバイだなんて、と子供心に思いましたね。
近くに住んでいたので、もう一度会えばよかったと後悔です。
>tiger
初めまして、コメントありがとうございます。
伯父の教え子さんですか。
正直、伯父の教師としての側面はあまり知る機会もなかったのですが、退任の挨拶に「バイバイ」とは、いかにも伯父らしいですね。
オレの知らなかった一面を教えていただき、ありがとうございました。
初めまして
私は浅野明信という方を探しております。
1974〜75年、北海道で小学校1、2年の私の担任であった先生です。
ヘビースモーカーでガラガラ声の先生で、詩人、画家で個展もされてました。息子さんもいらしたはずです。
>坂本道生さん
長らく放置してしまい申し訳ありません。(もう見ておられないかも知れませンが)
恐らく、坂本さんがお探しの「浅野明信」は私の伯父だと思いますが、記事の通り、2005年に他界しております。
二人の息子(私にとっては従兄弟に当たりますが)の長男とは最近になって連絡を取り合うようになり、このコメントも読んでいました。
機会があれば、本人からのコメントもあるかも知れませンので、たびたびご確認下さるといいかも知れませンよ。
源九郎さん はじめまして
小学4年だった1976年〜わずか一年間、明信先生の教え子でした。私は先生が、詩が大好きでした。
源九郎さんのブログにもたくさん詩が綴られていますね。明信先生の片鱗を纏ってらして、なんだかとても感動しました。
明信先生には、ただただ詩を書くことの楽しさを教えて頂き、詩によって内気な私の創造の世界が広がりました。母とご自宅にご挨拶に伺ったとき、玄関でもじもじしている私に向かって、真っすぐに「詩は書き続けなさい」とおっしゃった先生の顔、声、タバコの匂いを今でもよく覚えています。
その後上京し、編集者を経てフリーライターとなりましたが、日々の雑多な時間に流され、詩を楽しむことが叶いませんでした。
ここ数年、大病をし自分の人生を見つめ直す機会に恵まれ、「子供の頃の素直な心でまた詩を書きたい!」という思いがこんこんと涌いてきました。そして、先生にとても会いたくなり、検索していて源九郎さんのブログで先生の死を知りました。
ご冥福を心からお祈り申し上げます。
そして、感謝を
私は明信先生の教え子の1人ですが、恐らく彼の教え子の中でも異質の1人だったかもしれないです。
母が面談の際にその様なことを言われたそうです。その才能を伸ばせば、何かしら残せたかもしれないですが・・・。"泣き面のルンバ"はサイン入りで未だ持っております。 心よりご冥福を御祈り申し上げます。 あの世で会ったら、またあのがらがら声で御指導下さい。